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長崎地方裁判所 昭和42年(ワ)178号 判決 1968年5月20日

主文

被告は、原告山下ヤエ子に対し、金二、二四九、七三六円、同山下睦子、同山下祐子、同山下貴司に対し、各金一、一〇四、七五二円、および原告山下ヤエ子に対する内金一、七一四、七三六円、その余の原告らに対する右各金員に対する昭和四一年六月九日以降、原告山下ヤエ子に対する内金五三五、〇〇〇円に対する昭和四三年五月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを四分しその一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告等訴訟代理人は「被告は原告山下ヤエ子に対し金四、三〇四、一七八円、同山下睦子、同山下祐子、同山下貴司に対し各金二、五四八、七七五円および右各金員に対する昭和四一年六月九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、原告等訴訟代理人は請求の原因として次のとおり述べた。

(1)  被告会社の従業員である訴外堀勝則は昭和四一年六月九日午後七時二〇分頃、被告会社所有にかかる第二種原動付機自転車(長崎市一三二二七号)を運転して、長崎市桶屋町方面から同市寺町方面へ向け、道幅約三メートルの道路を南進中、東西に通ずる幅員約六、三メートルの道路と交さする長崎市麹屋町六五番地先の交さ点にさしかかつた際、おりから同交さ点を東から西に向け時速約四〇キロの速度で進行して来た訴外山下進の運転するバイクを左方約一〇メートルの地点に認めたが、このような場合原動機付自転車の運転者としては、一時停車の上右山下運転のバイクを優先進行させる等して同車との衝突事故が起ることがないようにすべき義務があるのに、漫然、同車の前方を通過できると考え、安全確認も不十分のまま、時速約一〇キロで同交さ点を横断しようとした過失により、自車を右訴外山下進運転のバイクに衝突させ、よつて同人に脳内出血および硬膜外出血腫、頭部打撲の傷害を負わせ、その結果同月一五日午後九時一五分頃、長崎大学付属病院において同人を呼吸麻痺心停止により死亡するに至らしめた。

(2)  しかして、右訴外堀勝則は昭和三六年四月から被告会社長崎出張所に雇傭され、日頃、前記原動機付自転車を使用して水道工事の業務に従事していた者であるが、会社業務終了後は私立長崎工業専門学校(夜間)に通学しており、従来から同通学にあたつても被告会社の許可のもとに被告会社所有の原動機付自転車を使用していたところ、本件事故当日も、仕事の終了が遅くなつたため、業務中に使用した被告会社所有の右原動機付自転車に乗車して被告会社長崎出張所より学校へ急ぐ途中、本件事故を惹起したものであつて、右の事実からすれば、本件事故当時における右訴外人の右原動機付自転車の運転は、主観的には同人の私用のためになされたものであるとはいえ、前記のごとく右訴外人は日頃右原動機付自転車を運転して会社業務を執行していたのみならず、会社終業後も被告会社からその使用を許可せられていたのであり、又、当日の仕事の終業と本件事故との時間的関係等を総合すると、訴外堀勝則の右原動機付自転車の運転は、被告会社の管理支配に属する範囲内の出来事であり、その職務の延長というべきであるから、結局、被告会社の事業の執行に該当し、被告会社は右堀勝則の使用者として、同人が惹起させた前記事故に基く損害を賠償すべき責任がある。

(3)  原告山下ヤエ子は亡山下進の妻であり、原告山下睦子、同山下祐子、同山下貴司は、亡山下進と原告山下ヤエ子の間の子である。

(4)  本件事故に基く損害はつぎのとおりである。

(イ) 亡山下進の得べかりし利益の喪失

亡山下進は本件事故当時、長崎市新大工町の本田市場と、同市新橋町の青空市場の二個所において蒲鉾類の卸小売業を営んでいたものであるが、昭和四〇年五月八日から、翌四一年五月七日までの一年間の商品仕入額は金八、四三一、七四五円であり、そのうち経費および妻である原告山下ヤエ子の援助を金銭的に評価してこれを控除しても同人自身のあげ得べき利益は、仕入額の一〇パーセントを下らないから、同人の年間収入額は金八四三、一七四円となる。また同人の生活費は月額三〇、〇〇〇円、年額三六〇、〇〇〇円であつたから、右年間収入額から右年間生活費を控除すると、本件事故当時、同人があげ得べき年間純益は金四八三、一七四円となる。ところが同人は本件事故当時、満三六才の健康な男子であつたから、平均余命の範囲内で満六三才まで、今後少くとも二七年間は稼働することが可能であり、その間右と同程度の年間純益を上げ得べきところ、本件事故により、その全部を喪失したことになる。そこで事故当時における一時払額を算出するため右金額を基礎として年五分の割合による中間利息を控除することになるが、本件においては右訴外人の一年毎に得べき純益が右のように確定されているのであるから、一年毎にホフマン式計算法を適用し、算出した金額を合算する方法(ホフマン複式)によるのが妥当であり、この方式により算出すると、同人の前記死亡による逸失利益の現価は金八、一一九、四八九円となる。したがつて、その結果、原告等は各相続分に応じ、原告山下ヤエ子が三分の一の金二、七〇六、四九六円他の原告三名がそれぞれ九分の二の金一、八〇四、三三一円宛の請求権を相続したものである。

(ロ) 亡山下進の治療費および葬儀代

亡山下進の受傷後死亡までの間の治療費は金五二、二一六円、葬儀費は金四三、八〇〇円であり、右合計金九六、〇一六円を原告山下ヤエ子が支払つた。

(ハ) 訴外亡山下進の慰藉料

右訴外人は事故後意識不明のまま死亡するに至つたものであるが、このような場合においても同人は被告会社に対する慰藉料請求権を取得するものであり、その額は二、〇〇〇、〇〇〇円を相当する。したがつて原告等は右訴外人の死亡によつて、前記各相続分に応じ、原告山下ヤエ子が金六六六、六六六円、他の原告三名がそれぞれ金四四四、四四四円の慰藉料を相続したものである。

(ニ) 原告ら固有の慰藉料

家庭状況、原告らの年令および被告会社の不誠意等諸般の事情を総合して原告らにつき各金三〇万円を相当とする。

(ホ) 弁護士費用

本件事故後、原告等は被告会社に対し再三、示談の申入をしたが、被告会社はこれに応じようとせず、よつて原告らは昭和四一年九月長崎簡易裁判所に対し調停申立をしたが、これも被告会社の頑迷な態度によつて不調となつた。そこで原告らは本訴に及んだのであるが、その事件の性質上自ら訴訟追行をすることが困難であるので、昭和四二年五月初頃、長崎県弁護士会所属弁護士山下誠に本件訴訟行為一切を委任した。そして、同弁護士に対する着手金三五、〇〇〇円を法律扶助協会長崎県支部から立て替えてもらつたが、これは本訴終了の際、同支部に対し、原告山下ヤエ子が弁済しなければならない。また右原告は、右訴訟委任の際、同弁護士との間で、本訴が勝訴した場合、その成功報酬として取高の一割を支払う約束をした。そこでその成功報酬の内金五〇〇、〇〇〇円および前記立て替えの着手金三五、〇〇〇円は被告において負担するのが相当である。

(5)  よつて被告会社に対し本件事故による損害賠償として、原告山下ヤエ子は、右(イ)ないし(ホ)の合計額である金四、三〇四、一七八円、他の原告ら三名は、それぞれ、右(イ)、(ハ)、(ニ)の合計額である金二、五四八、七七五円宛および右各金員に対する本件事故発生の日である昭和四一年六月九日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、被告訴訟代理人は答弁ならびに抗弁として、次のとおり述べた。

(1)  請求原因(1)の事実のうち訴外堀勝則が被告会社の従業員であること、同人が昭和四一年六月九日午後七時二〇分頃、被告会社所有にかかる第二種原動機付自転車長崎市一三二二七号を運転して長崎市桶屋町方面から同市寺町方面へ向け進行中、長崎市麹屋町六五番地先の交さ点において、訴外山下進の運転するバイクと衝突したこと、および同人が脳内出血および硬膜外出血腫、頭部打撲の傷害を負い、同年同月一五日午後九時一五分ごろ長崎大学付属病院において呼吸麻痺心停止により死亡したことは認めるが、その余は否認する。すなわち、本件事故は後記の如く右山下進の重大な過失に起因するものである。

(2)  請求原因(2)の事実のうち、被告会社が訴外堀勝則を雇入れた時期、同人が夜間工業専門学校に通学していたことは認めるが、その余はすべて否認する。

(3)  請求原因(3)の事実のうち、原告らと亡山下進との続柄は認め、その余はすべて争う。

(4)  抗弁。

(イ) 仮に訴外堀勝則の本件原動機付自転車の運転が被告会社の「事業ノ執行」に当るとしても被告会社には訴外堀勝則の選任及びその事業の監督につき過失がなかつた。

(ロ) 仮に被告会社に訴外堀勝則の選任及びその事業の監督につき過失があつたとしても、本件事故については、被害者である亡山下進に重大な過失がある。すなわち、同人はその運転していたバイクを訴外堀勝則運転の原動機付自転車の後部ナンバープレートに追突せしめたものであつて、この状況からすれば同人が徐行するか、またはハンドルを右に切ることによつて右接触を十分避け得たのにかかわらず、同人においてかかる措置をとらなかつたこと、および右訴外堀勝則は本件交さ点に入ろうとして一時停車した際、訴外山下進の車は、まだ交さ点の手前かなりの距離を進行して来ていたので十分横断できるものとして、発進し先に交さ点に入つたものであるから道路交通法第三五条第一項によりむしろ同交さ点に遅く達した亡山下進において徐行をしなければならないのに徐行せず、加うるに、同人は事故当時飲酒していたものであつて、これらは被害者に重大な過失があつたというべく、損害額の算定に当つてはこれらの被害者の過失を斟酌すべきである。

三、原告等訴訟代理人は、被告の抗弁に対し、被告の抗弁はすべて争う。道路交通法第三六条第三項によれば、幅員の広い道路から交さ点に入ろうとする車がある場合、この進行を、幅員の狭い道路から交さ点に入る車は妨げてはならない旨、規定されており、亡山下進運転のバイクは同条同項の「交さ点に入ろうとする車に該当するものであつて、事故の状況全般から判断すれば亡山下進には過失はなかつたものであると述べた。

第三、証拠〔略〕

理由

一、被告会社の従業員である訴外堀勝則が、昭和四一年六月九日午後七時二〇分頃、被告会社所有にかかる第二種原動機付自転車長崎市一三二二七号を運転して長崎市桶屋町方面から同市寺町方面へ向け南進中、長崎市麹屋町六五番地先の交さ点にさしかかつた際、おりから同交さ点を東から西に向け進行して来た訴外山下進運転のバイクと右交さ点上で衝突したこと、および同事故により、右山下進が脳内出血、硬膜外出血腫、頭部打撲の傷害を負い、よつて同月一五日午後九時一五分ごろ長崎大学付属病院において呼吸麻痺心停止により死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。

二、ところで、右事故が訴外堀勝則の過失に基くものであるか否かにつき判断するに、〔証拠略〕を総合すると、本件事故現場は交通整理の行われていない交さ点であつて、訴外堀勝則はその通行している道路より広い道路を横断しようとして交さ点の手前で、右足が軽く地面に付くくらいに減速、徐行し、同交さ点の東側をみたところ、同交さ点の東側一〇メートル余の地点を訴外山下進がバイクに乗つて時速四〇キロ程度の速度で西進して来るのを認めた。このような場合、そのまま発進して同交さ点を横断するとき、同交さ点で西進して来る右山下進の運転するバイクと衝突する危険性が十分予測されるから、自動車の運転手としてはそのまま停車し広い方の道路を進行してくる右山下進のバイクの通過をまつて、その後に同交さ点を横断し、もつて交さ点上での衝突事故を起さないようにすべき義務があるのに、そのような挙に出ず、そのまま同交さ点を横断しても、右山下進が交さ点に達するよりも先に同交さ点を安全に横断しうるものと速断し、そのまま発進して同交さ点を横断しようとしたため、同交さ点の横断完了直前に自己の車の後部ナンバープレート附近を右山下進のバイクに接触させて、本件事故を発生させたものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によると、本件事故は訴外堀勝則の過失に基くものであることが明らかである。

三、ところで、訴外堀勝則が被告会社長崎出張所の従業員であつたことは前記のとおりであり、〔証拠略〕を総合すると、同訴外人は被告会社の配管工として、水道の配管工事に従事していたものであるが、被告会社は日頃から同訴外人に工事現場との往復や水道配管工事の業務のため、会社所有の原動機付自転車を使用させていたこと、その上被告会社においては従業員が私用に会社所有の原動機付自転車を使用することを申出た場合、特別の事情のない限りこれを許可して私用に使用させていたこと、こうしたことから同訴外人も、従来しばしば夜学への通学や帰宅のために被告会社所有の原動機付自転車を使用して来ていたこと、そして本件事故当日、右訴外人は工事現場での仕事を終え、午後六時頃被告会社の事務所に帰つて来たが、忘れ物を思い出してそれを取りに行き、再び同事務所に帰つて来たのが午後六時四〇分頃であつて、学校の始業時間も過ぎていたので、被告会社の原動機付自転車の鍵が近くにあつたのをさいわいに、これを使用して前記夜間専門学校に行くことにして、会社の責任者の許可を得ず、被告会社の原動機付自転車に乗つて出発したものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで民法第七一五条に規定する「事業ノ執行ニ付キ」というのは、必ずしも被用者がその担当する業務を執行する場合だけを指称するものと考えるべきではなく、現代不法行為法の危険責任、報償責任の理念に照らして、広く被用者の行為の外形を促えて客観的に観察したとき、使用者の事業の態様、規模等からして、それが被用者の職務行為の範囲内に属すると認められる場合で足りると解すべきところ、前記認定の事業を総合して判断するとき、なるほど訴外堀勝則の本件事故についての原動機付自転車の運転は、主観的には会社の業務中のものではなく、同訴外人の私用のための行為であつたということができるのであるが、被告会社において自転車の管理保管は必ずしも厳格ではなく、職務用と私用が截然と区別されておらず、容易に無断使用が可能な状態にあつたこと、さらには、本件事故は、訴外堀勝則において被告会社の仕事の終了後、その事務所から被告会社の車で学校に行く途中のことで業務終了後一時間余り後のでき事であつたということができるので、本件事故について訴外堀勝則の原動機付自転車の運転は外形的に観察するとき被告会社の事業の執行につきなされたものと解するのが相当である。

四、そこで被告の抗弁(イ)について判断するに、同抗弁事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすれば被告会社は民法第七一五条により、訴外堀勝則が前記事故によつて他人に加えた損害を賠償すべき責任があることが明らかである。

五、原告山下ヤエ子が亡山下進の妻であり、原告山下睦子、同山下祐子、同山下貴司がそれぞれ右原告と右訴外人との間の子であることは当事者間に争いがない。

六、よつて本件事故によつて生じた原告等の損害額について判断する。

(一)  亡山下進の逸失利益

〔証拠略〕を総合すると亡山下進は昭和三〇年ごろから、本件事故当日まで長崎市新大工町の本田市場と同市新橋町の青空市場の二個所に店舗を持ち、妻である原告山下ヤエ子の協力を得て蒲鉾類の卸小売業を営んでいたものであるところ、同人の昭和四〇年五月八日から同四一年五月七日までの間における商品仕入額は金八、四三一、七四五円を下らないものであるところ、その営業の諸経費を控除した後の利益率は一〇%を下らず、原告山下ヤエ子の協力分を二%と見積り、亡山下進自身による利益は、商品仕入高の八%を下らないこと、したがつて右山下進の年間収入は金六七四、五三九円を下らないものである。一方右山下進の生活費は多くても月額三〇、〇〇〇円、年額三六〇、〇〇〇円であつたと認められるから、これを右の年間収入から控除すると本件事故当時同人の上げ得べき年間純益は金三一四、五三九円となる。そして、〔証拠略〕によれば、亡山下進は、事故当時満三六才の健康な男子であつたことが明らかであるから、このような男子の平均余命が三八・五六年(第一一回生命表)であること、したがつて同人は今後少なくとも二七年間(満六三才まで)は従前と同一の営業をなすことが可能であることは、当裁判所に顕著である。そうすると、亡山下進は、その間、前記年間純益と同程度の年間純益をあげ得る筈であつたところ、同人は本件事故による死亡によつてその全部を喪失したことになる。そこで事故当時の一時払いの額を算出するため右金額を基礎として年五分の割合による中間利息を控除することになるが、右訴外人の一年毎に得べき純益が前記のごとく確定されているのであるから、一年毎にホフマン式計算法を適用し算出した額を合算する方法(ホフマン複式)によるのが妥当であり、この方式により算出すると、亡山下進が前記死亡によつて喪失した得べかりし利益の現価は、金五、二八五、六三九円となる。

(二)  亡山下進の治療費および葬儀代

〔証拠略〕によれば、訴外亡山下進の治療費が金五二、二一六円であり、かつ同人の葬儀費は金四三、八〇〇円であつたことおよび右合計金九六、〇一六円は原告山下ヤエ子においてこれを支払つた事実が認められる。

(三)  過失相殺

〔証拠略〕を総合すると、本件事故現場は交通整理の行われておらず、かつ左右の見通しのきかない交さ点であつたから、被害者である亡山下進においても、道路交通法第四二条の規定により本件事故現場付近では当然徐行すべき義務があつたのであり、もし同人が徐行していたならば、本件交さ点に訴外堀勝則が発進して来るのを容易に発見できた筈であり、しかもハンドル操作およびブレーキ制動等によつて右堀勝則の車との衝突事故を未然に防ぐことが可能であつたとも考えられる(このことは現に亡山下進のバイクが、同交さ点横断終了寸前の訴外堀勝則の車の後部ナンバープレートに衝突している点からも推測できる。)のに亡山下進において徐行せず時速四五キロ位の速度で本件交さ点を横断しようとしたことは、この点で同人も過失があつたと認定しうる。そして右亡山下進と、訴外堀勝則の各々の過失の比率は四対六の割合であつたと認めるのを相当とし、過失相殺として前記(一)、(二)損害につきそれぞれ一〇分の四を減じ、右亡山下進の逸失利益については金三、一七一、三八三円、治療費および葬儀費については金五七、六〇九円をもつて被告会社が賠償すべき額と認定する。しかして亡山下進の逸失利益については原告らが各相続分に応じて承継したから、原告山下ヤエ子はその三分の一の金一、〇五七、一二七円、他の原告三名はそれぞれ九分の二の各金七〇四、七五二円の各損害賠償債権を取得したことになる。なお右治療費および葬儀費の分は、原告山下ヤエ子が支出した自己の損害として、同原告が損害賠償請求権を取得することになる。

(四)  亡山下進の慰藉料および原告ら固有の慰藉料

前記の如き亡山下進の年令、原告らと亡山下進との身分関係および本件事故の原因過失の程度(被害者に過失のあつたことを考慮)ならびに被告が会社であることその他事故後の情状等諸般の事情を考慮するとき、妻子を残して先立つ亡山下進はもとより、後に残された原告らの精神的苦痛の大であることは容易に推測されるところであるので、その慰藉料として亡山下進につき金九〇〇、〇〇〇円、原告山下ヤエ子につき金三〇〇、〇〇〇円、他の原告三名につきそれぞれ金二〇〇、〇〇〇円と認めるのを相当とする。しかして、亡山下進の慰藉料は原告等がその各相続分に応じて承継するから、結局原告らが取得する慰藉料請求権の額は原告山下ヤエ子において金六〇〇、〇〇〇円、その他の原告においてそれぞれ金四〇〇、〇〇〇円宛となる。

(五)  弁護士の費用

以上によつて原告等につき認められる損害賠償金額は総合計金五、〇二八、九九二円となるところ、〔証拠略〕によれば、原告らは本件訴訟を弁護士山下誠に委任し同弁護士に対する着手金三五、〇〇〇円を法律扶助協会長崎県支部から立て替えてもらつているが、これは本件訴訟終了の際、原告山下ヤエ子が同協会に弁済すべき義務を負つていることおよび同原告は、同原告を除く他の原告三名の法定代理人である関係から原告ら四名訴訟代理人弁護士山下誠に、成功報酬として、本判決により認容された請求金額一割を判決の言渡のあり次第支払う旨の報酬契約を、同弁護士との間に締結していることが認められるところ、およそ本件のような損害賠償請求事件は、弁護士に委任してその訴訟を進行しなければ、その権利の完全な実現は困難であり、したがつて弁護士に委任して訴訟を追行しているのが通常である。

特に本件の如く、被告側は終始損害賠償責任はないとして賠償拒否の態度に出でる場合はなお更である。そして、弁護士に訴訟委任をした場合は右程度の着手金および成功報酬を支払つていることは、当裁判所に顕著な事実であるから、右弁護士費用の支払いは本件事故と相当因果関係がある。したがつて、被告会社は原告山下ヤエ子において、負担する弁護士費用として、右合計金五三五、〇〇〇円を賠償すべき義務がある。そして、右金員については、原告山下ヤエ子において未だその支払いをしておらず、本件判決言渡によつてその履行期が到来するものといえるから、右金員に対する遅延損害金の起算日は、本判決の言渡日である昭和四三年五月二〇日とする。

七、以上の各損害金を各原告につきそれぞれ合計すると、原告山下ヤエ子は金二、二四九、七三六円、その他の原告三名は各々金一、一〇四、七五二円宛の損害賠償請求権を有することになり、被告は原告らに対し、右各金員および原告山下ヤエ子に対する内金一、七一四、七三六円その余の原告らに対する右各金員に対する本件事故発生の日である昭和四一年六月九日以降原告山下ヤエ子に対する内金五三五、〇〇〇円に対する昭和四三年五月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、原告等の本訴請求は右の限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判断する。

(裁判官 原政俊 池田憲義 野村利夫)

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